はじめに:なぜ今、採用にマーケティングなのか
売り手市場で採用難の時代、さらに採用手法の多様化や就職活動の早期化など、企業がこれまで行ってきた採用活動では、求める人材に会えなくなってきています。「求人票を出して、応募を待つだけ」の受動的な採用手法は既に限界を迎えており、企業はプロアクティブに候補者へアプローチし、自社の魅力を適切に届ける努力が不可欠となりました。
そこで現代の人事・採用担当者や経営層から強い注目を集めているのが、マーケティングの考え方を採用活動に取り入れた「採用マーケティング」です。本記事では、採用マーケティングという概念がなぜ今必要なのかという背景から、基本的な考え方、解消される課題、具体的な進め方、そしてメリット・デメリットに至るまでを網羅的に解説します。この記事が、自社の採用活動を根本から見直し、次世代の戦略的な採用基盤を構築するための羅針盤となれば幸いです。
第1章:なぜ、採用マーケティングなのか
なぜ今、採用マーケティングという考え方が急速に普及しているのでしょうか。その背景には、一過性のトレンドではなく、日本のマクロ環境の構造的な変化と、求職者の情報収集行動における不可逆的な変化が存在します。大きく以下の4つの要因が挙げられます。
1. 圧倒的な売り手市場と生産年齢人口の減少
厚生労働省の推計や様々な労働市場の未来予測によれば、日本の生産年齢人口は減少の一途を辿っています。2030年には数百万人の人材不足が予測され、中長期的にはさらに労働力確保が困難な時代に突入します。企業間で限られたパイ(優秀な人材)を奪い合う構造が定着しており、知名度のある大企業であっても、「待っているだけ」では人材を確保できない時代です。求職者が企業を選ぶ「売り手市場」が常態化する中で、企業側から選ばれるための能動的な働きかけが必要不可欠になっています。
2. 採用手法の多様化と複雑化
従来の採用活動は、ナビサイトへの掲載、人材紹介エージェントへの依頼、ハローワークの活用など、いくつかの限られたチャネルに依存していました。しかし近年は、ダイレクトソーシング(スカウト)、リファラル採用(社員紹介)、SNSリクルーティング、オウンドメディアの運用、アルムナイ(退職者)ネットワークの活用など、採用手法が多様化しています。
手法が増えたことはチャンスである反面、どのターゲットにどの手法を組み合わせるべきかという「チャネル設計」の難易度が劇的に高まりました。手当たり次第に新しい手法に飛びつくのではなく、マーケティングの「メディアミックス」の視点で最適なチャネルを選定する戦略性が求められています。
3. 働き方や価値観の多様化
新型コロナウイルスの影響も相まって、テレワークや副業、兼業など、新しい働き方が急速に浸透しました。それに伴い、求職者が企業に求める価値観も「給与や知名度」といった画一的なものから、「パーパス(企業の存在意義)への共感」「ワークライフバランス」「キャリアの自律性」「心理的安全性」「多様性(ダイバーシティ)」など、極めて多様化、複雑化しています。
自社がターゲットとする人材が、数ある価値観の中で「何を最も重視しているのか」を正確に捉え、それに合致する自社の魅力(メッセージ)をピンポイントで届けるマーケティング思考がなければ、求職者の心は動きません。
4. 就職・転職活動の早期化と情報収集行動の変化
新卒採用におけるインターンシップ経由での早期内定の常態化や、通年採用の拡大により、採用活動のスケジュールは早期化、長期化しています。また、求職者の情報収集行動も激変しました。企業の公式サイトや求人票だけでなく、企業の公式SNS、YouTubeなどの採用動画、口コミサイト、社員の個人発信など、あらゆるタッチポイントから「リアルな情報」を収集し、入社前に比較検討を行っています。
特に採用動画の視聴は、応募前、面接前、内定承諾前など、あらゆるフェーズで意思決定の重要なファクターとなっています。企業側が戦略的に情報(コンテンツ)を設計、配置しなければ、求職者の検討プロセスから無意識のうちに除外されてしまうリスクが高まっているのです。
第2章:採用マーケティングの基本的な考え方
では、そもそも採用マーケティングとはどのような概念であり、従来の採用と何が違うのでしょうか。ここではその基本構造と、導入によって解決できる具体的な課題を解説します。
採用マーケティングの定義とファネル思考
採用マーケティングとは、一言で言えば「マーケティングのフレームワークや思考法を、採用活動に応用すること」です。一般的なマーケティングが「見込み顧客を認知から購買、さらにリピーターへと育成する」ことを目的とするように、採用マーケティングでは「求職者を認知から応募、入社、そして定着、活躍(ファン化)へと導く」ことを目的とします。
この流れを可視化したものが「採用ファネル」です。
- 認知(Awareness):企業名や事業内容を知っている状態
- 興味・関心(Interest):「面白そうな会社だ」「自分に合っていそうだ」と興味を持つ状態
- 比較・検討(Consideration):他社と比較し、応募するかどうかを検討する状態
- 応募(Application):実際に選考にエントリーする状態
- 選考(Selection):面接等を通じた企業と候補者の相互理解のフェーズ
- 内定・入社(Hire):内定を受諾し、入社する状態
- 定着・活躍(Retention/Advocacy):入社後にエンゲージメント高く働き、自社のファンとして社外へ魅力を発信(リファラルなど)する状態
従来の採用は「応募〜入社」という狭い範囲(ファネルの下部)のみに注力する「刈り取り型」でした。一方、採用マーケティングは「認知」の段階から、入社後の「定着」までを一つの連続したプロセスと捉え、全体最適を図るアプローチです。また、「採用ブランディング」が主に認知・興味といった「入口」のイメージ形成を担うのに対し、「採用マーケティング」はファネル全体をデータに基づいて最適化し、実数としての採用成果につなげる実践的な枠組みと言えます。
ターゲットの拡張:顕在層から潜在層へ
採用マーケティングのもう一つの大きな特徴は、アプローチするターゲットの範囲が広いことです。今すぐ転職したいと考えている「転職顕在層」だけでなく、良い機会があれば話を聞いてみたい「転職潜在層」、過去に選考を受けて辞退・不採用となった「タレントプール」、退職した元社員「アルムナイ」、さらにはリファラル採用の起点となる「自社の既存社員」までもがマーケティングの対象となります。
採用マーケティングで解消される3つの課題
- 「母集団が集まらない・枯渇している」という課題:顕在層のみを狙うレッドオーシャンでの競争から抜け出し、転職市場にまだ出ていない優秀な「潜在層」へ早期からアプローチし関係性を構築することで、安定的な母集団形成が可能になります。
- 「求める人材からの応募が来ない・ミスマッチが多い」という課題:ペルソナ(理想の人物像)を明確にし、そのペルソナに刺さるピンポイントなメッセージを発信することで、「誰でもいいから来てほしい」という曖昧な求人から脱却し、自社のカルチャーや要件に深く共感した人材(質の高い母集団)を集めることができます。
- 「内定辞退や入社後の早期離職が多い」という課題:選考中や内定後のフォローアップにおいても、候補者の不安を払拭する適切なコンテンツ(社員インタビュー動画、現場社員との面談など)を提供し、入社後までの期待値調整を丁寧に行うことで、歩留まりの改善と入社後の定着率向上が実現します。
第3章:採用マーケティングの進め方(6つのステップ)
採用マーケティングは、場当たり的な施策の切り貼りではなく、体系的なステップを踏んで導入することが成功の鍵です。ここでは、実践に向けた6つのステップを解説します。
Step 1. 自社と競合、市場の現状分析(3C分析・SWOT分析)
最初のステップは、己を知り、相手を知ることです。自社の強みと弱みは何か(Company)、採用競合はどのようなメッセージを発信し、どのような待遇を提示しているか(Competitor)、そしてターゲットとなる求職者の市況やトレンドはどうなっているか(Customer)。これらを客観的なデータに基づき分析します。給与や知名度で競合に劣る場合でも、カルチャーや成長機会、働き方の柔軟性などで勝機を見出すための重要なフェーズです。
Step 2. 求める人物像の明確化(ペルソナ設計)
「20代・営業経験3年以上」といった表面的なスペックだけでなく、一人の具体的な架空の人物(ペルソナ)を創り上げます。その人物がどのような価値観を持ち、どのようなキャリアを描き、日頃どんなメディアで情報収集をし、現職に対してどんな不満(ペインポイント)を抱えているのか。行動特性や心理状態まで解像度を上げることで、この後に続くすべての施策のブレがなくなります。
Step 3. EVP(従業員価値提案)の策定
EVP(Employee Value Proposition)とは、「企業が従業員に対して提供できる価値や魅力」のことです。ターゲットとするペルソナに対して、「なぜ他社ではなく、自社を選ぶべきなのか」という理由を言語化します。EVPは主に以下の5つの要素から整理されます。
- Strategy(事業・戦略):企業の目指すビジョン、社会課題の解決、事業の将来性
- Culture(文化・人):風通しの良さ、チームワーク、経営陣や一緒に働く仲間の魅力
- Rewards(報酬・ベネフィット):給与水準、評価制度の納得感、独自の福利厚生
- Opportunity(機会・キャリア):研修制度、昇進のチャンス、得られるスキルや裁量
- Work Environment(環境):リモートワークの有無、ワークライフバランス、柔軟な働き方
Step 4. ジャーニーマップの設計とTMPフレームワーク
ペルソナが自社を認知し、興味を持ち、応募し、入社に至るまでの「感情と行動の移り変わり」を時系列で整理したものがジャーニーマップです。ファネルの各段階において、候補者が「何を知りたがっているか」「どんな不安を抱えているか」をマッピングします。
ここで役立つのがTMP(Targeting / Messaging / Processing)というフレームワークです。
- Targeting(誰に):どのフェーズのどんなペルソナに届けるか
- Messaging(何を):EVPの中から、そのフェーズで最も刺さるメッセージは何か
- Processing(どのように):どのチャネル(動画、SNS、オウンドメディア)を用いて届けるか
Step 5. チャネルの選定とコンテンツの実行
設計したジャーニーに沿って、具体的な施策を実行します。認知を獲得するためのSNS発信やWeb広告、興味を深めるための採用オウンドメディアでの社員インタビュー記事、応募の後押しや面接前の理解促進のための「採用動画」など、最適なフォーマットでコンテンツを展開します。特に近年は、文字だけでは伝わらない「職場のリアルな雰囲気」を伝える手段として、ショート動画やリッチな動画コンテンツの配置がファネル全体の歩留まり向上に極めて有効です。
Step 6. 効果測定(KPI設定)と継続的な改善
マーケティングに終わりはありません。各ファネルの移行率(歩留まり)を数値化し、KPIとしてモニタリングします。「採用サイトのPV数は多いが応募率が低い」のであれば、メッセージのミスマッチやエントリーフォームの離脱が疑われます。「一次面接から最終面接への移行率が低い」のであれば、面接官のトレーニングや、事前の期待値調整コンテンツの不足が考えられます。データドリブンに仮説検証(PDCA)を回し続けることが重要です。
第4章:採用マーケティングのメリットとデメリット
採用マーケティングの導入には、大きなリターンが期待できる一方で、あらかじめ認識しておくべきハードルも存在します。
メリット:量と質の向上、そして「資産化」
最大のメリットは、応募数の増加と母集団の「質」の向上が同時に達成できることです。自社の魅力を深く理解し、共感した状態の候補者が集まるため、選考の通過率が上がり、入社後のミスマッチ(早期離職)を劇的に減らすことができます。
また、長期的な視点で見ると「採用コスト(CPA)の削減」に直結します。求人広告や人材紹介への単発的な投資は、掲載が終われば何も残りません。しかし、採用サイトやオウンドメディアの記事、SNSのフォロワー、採用動画などは、一度制作すれば永続的に自社の魅力を発信し続ける「資産」となります。自社の採用力(採用ブランド)が蓄積されることで、外部メディアに依存しない「自走型の採用活動」が実現します。
デメリット(注意点):即効性とリソースの壁
デメリットとして挙げられるのは、効果が出るまでに一定の時間(中長期的視点)を要することです。「来月までに急いで5人採用したい」といった短期的な欠員補充には不向きです。
また、マーケティング戦略の策定やコンテンツの制作・運用、データ分析には、専門的なノウハウと工数(リソース)が必要です。近年では「採用マーケター」と呼ばれる専門職が注目されていますが、社内にリソースがない場合は、外部のプロフェッショナルなパートナー企業と協業することが現実的な解決策となります。
さらに、採用マーケティングは人事部だけでは完結しません。現場社員のインタビュー協力、経営陣のメッセージ発信など、全社を巻き込んだ協力体制(インナーブランディングとの連動)が不可欠です。
おわりに:クリエイティブとデータサイエンスで「選ばれる企業」へ
採用難の時代を勝ち抜くためには、表面的なデザインや一時的な広告配信にとどまらない、本質的な「採用マーケティング」の実践が求められます。しかし、精緻なペルソナ設計、データに基づいたジャーニーマップの構築、そして心動かすクリエイティブの制作を自社のみで完結させることは容易ではありません。
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