従業員の共感を生み出し、行動を変える「共感経営」を実践している経営者に、その経営思想について語っていただくシリーズ企画。
第一回は、下町の老舗和菓子屋をイノベーティブ企業へと変貌させた株式会社船橋屋の八代目当主、渡辺雅司社長にお話を伺った。前編では、「効率性だけでは組織はうまく回らない」という自らの葛藤から生まれた経営のターニングポイントについて語っていただいた。
後編では、渡辺社長が経営理念をどのように定め、どのように現場に浸透させていったのかについて明らかにしていく。【経営者が語る“共感経営”】vol.1 下町の老舗和菓子屋が挑む、「あり方経営」<後編>株式会社船橋屋   八代目当主・代表取締役   渡辺雅司氏

究極の二つの問いに答えることで、経営理念が導き出される

−経営理念を導き出すために、深い掘り下げが必要で、一人になって内観するプロセスが不可欠だったということですね。最終的にはどのような答えに行き着いたんでしょうか。
初代・勘助が残した家訓は、「売るよりつくれ、浮利を追うな」。すなわち「いいものを作れば売れる」という信念がずっと受け継がれてきた。しかし今は、いいものを作っただけでは売れない時代です。じゃあそもそも、「つくる」って一体、なんだろうかと。我々が作っているものは単に和菓子というだけなのか。その根底にある価値とは一体なんなんだ、と。
−コアコンピタンスの言語化ですね。
そうです。その結果、一番大切な「つくる」とは、会社としてのカルチャー、文化性をつくることなんじゃないか、と思い至ったんです。もう一つは、社会性。社会の課題に対してどう取り組んでいるのか。そして三つめに、経済性。商品や立地戦略などのマーケティングを中心とした経営計画ですね。この三つの、いわば三位一体のような絵が頭に浮かんできたんです。
−文化性と社会性は、企業のミッション、存在意義とも置き換えられる部分ですね。
まさに存在意義です。経営理念に向き合う中で、社長の仕事として、まず「究極の二つの問い」に答える必要があると感じました。一つは、「この会社は、なんのために、誰のために、なぜ存在するのか」という問い。もう一つは、「お客様は、なぜ、今、(他社ではなく)当社から、この商品を買わなくてはならないのか?」という問い。この二つの問いに対する答えこそが、自社の文化性と社会性につながるのだと気づいたんです。これが経営理念を考えるベースになりました。

−社会性は、社会の課題やニーズにどう向き合うのかということですね。文化性とは一体どのようなものなんでしょうか。
うちのコアコンピタンスを考えた時、「江戸の粋」という言葉に行き着きました。うちのくず餅は発酵食品なんですが、その発酵には450日という途方もない日数がかかります。それだけ時間をかけてつくるのに、消費期限はたったの2日しかありません。保存料を使っていませんので。単に経済性だけを追求するのであれば、保存料でもなんでも使って、長く食べられるようにした方がいい。ですが、くず餅本来の美味しさを味わえる期間の短さの背景には、儚さ、潔さを良しとする船橋屋独特のものづくりの考え方があるんです。天然の素材の、ありのままを生かすという考え方です。そのルーツには、船橋屋創業当時の、江戸らしい「粋」の美学がある。松下幸之助さんのお言葉を借りると、「自然の理法」ですね。我々にとっての「自然の理法」こそ、創業当時から続く「江戸の粋」を大切にするものづくりの姿勢だと考えたんです。ここから生まれたのが、「くず餅ひと筋、真っ直ぐに」という、非常にシンプルな経営理念でした。
−そうした背景を伺うと、経営理念が文化性に強く裏打ちされていることが伝わりますね。
そこに至るまでには色々なことを考えたんですけど、最後に行き着いたのは、我々って真っ直ぐな企業だよね、という確信でした。いつ、何があっても。経営理念とはなんなのか、一言で言えば、「錦の御旗」だと私は考えています。なんのためにやるか、という、WHYの部分です。何をするか、のHOWの部分、戦略面しか議論しない組織も多いですが、根幹のWHYがわからないままでは、どれだけ洗練された戦略を描こうと、社員に浸透しないですよね。そのWHYの部分を担うのが、文化性と社会性なんです。
−社長の仕事である「究極の二つの問い」への答えを明らかにしていくことで経営理念が導き出され、組織として進む方向性が見えてくるんですね。
そこが明らかになったところで、次なる社長の仕事が出てきます。それが、“「究極の二つの問い」に答えられる、「語り部(同志)」を社内にたくさんつくること”です。
−語り部づくり。それは、社員に経営理念を浸透させる、ということでしょうか。
浸透と言っても、上意下達で言った通りにやれということではなく、同じ志を持つ仲間を増やすということなんです。そのために、「究極の二つの問い」を社員にも徹底的に考えてもらいます。しかし、単に「考えろ」と一方的に言うだけでは、人は動かない。社員に本気で考えてもらうために、社長が最優先でやるべきことは二つあると考えています。一つは、真のビジョンを描くこと、もう一つは、場の力を作ることです。

ビジョンと場の力が、社員を「語り部」化する

【経営者が語る“共感経営”】vol.1 下町の老舗和菓子屋が挑む、「あり方経営」<後編>2
−「真のビジョン」とは一体どのようなものなんでしょうか。
私はビジョンを、「目的地の絵葉書」と呼んでいます。先ほどの三位一体の図で言えば、社会性の部分ですね。船橋屋は何故存在するのか、社会に何を与えているのか。これも、創業時からの社訓「売るよりつくれ、浮利を追うな」に立ち返って掘り下げています。そこから行き着いたのは、この言葉の根底にあるのは、「いいものさえ作れば売れる」ということではなく、「常にお客様と社会のことを第一に考え行動していれば利益は自ずと生まれてくる」ということなんだと。「自分たちが何を売るのか」ではなく、「お客様がうちのくず餅を買ったら、どんな幸福感やベネフィットが生まれるのか」を考えることが、我々にとっての社会性なんだと考えたんです。
−まさに、「なぜそれをやるのか」という、WHYの部分ですね。
そうです。文化性、社会性、経営理念、ビジョン、これらは全て一つの土壌から根幹として繋がっている。そのようにして導き出された「なぜそれをやるのか」を、企業活動のあらゆるプロセスを通して、社会に対してどう働きかけ、お客様にどのように感じていただいて、いかにして多くの方々の物語に関わっていけるのかを、自分たちの未来像として描いていく。真のビジョンとは、社会と共有・共感し、一緒に創り上げる未来像なんですね。
−社員もお客様も、一緒になって作り上げていく未来像こそがビジョンということですね。
だからこそ、社員に向けては単なる共有ではなく、経営理念やビジョンに共感してもらい、語り部となってもらう必要があるんです。その語り部を増やしていくために必要となるのが、もう一つの「場の力」です。具体的に言えば、研修や社内イベントということになるんですが、そういった場を作っていく上で何よりも大事にしているのは、一人ひとりの考え方や価値観、信念に徹底的に向き合うことです。
−一人ひとりに向き合う。簡単なことではないと思いますが、具体的にはどのような場があるんでしょうか

例えばある研修ではセラピストを講師に迎えて、一人ひとりに自分の生い立ちやルーツを掘り下げてもらいます。これは15人ずつくらいの少人数で、半年間くらいかけてやっています。その上で、自分自身にとっての働く意味を考えてもらう。それから毎年4月に各部署、各店舗が一年間のビジョンを社長や幹部の前で発表するという「ビジョン発表会」を行っています。発表して終わりにするのではなく、10月に進捗報告会をやって、ビジョンに基づいて行動している社員に報償を与えています。さらに、社員が配属や職位に関係なく、経営の改善計画に参画できる社内プロジェクトが何本も動いています。いずれも根底にあるのは、社員が仕事の本質について自己探求できる機会を作るということです。人事考課や評価体系も、全てこれらの行動に紐づいた制度に改めました。

 

【経営者が語る“共感経営”】vol.1 下町の老舗和菓子屋が挑む、「あり方経営」<後編>3ビジョン発表会の様子

−そこまで徹底的に場を作ることにこだわるのはなぜでしょうか。
そもそも、会社に対して信頼を持てない人が多いですよね。従業員が心からの誇りや愛着を持って、その会社で働けているか、商品やサービスをお客様に提供できているか。その根幹には、そもそも自分自身が何者なのか、まず自分自身が自分を信頼できているかという、根源的な問いがある。そこにきちんと向き合わないと、本当の信頼関係は生まれないと思うんです。一方的にこちらの考えだけを押し付けてもだめで、社員一人ひとりが「何のために生きるのか」「なぜ船橋屋で働くのか」について自分の言葉で答えられなければ、同じ志を持った仲間にはなれない。
−社長ご自身が経営理念を作るときに徹底的に内観された、そういう深い体験を従業員の方と共有する、ということなんですね。
表面的に「やれ」と押し付けても人は動かない。本当に動いてもらうためには、光を見せないといけない。それは、まず社員一人ひとりが個人の目的を明らかにして、その上で、企業の目的と重ね合わせることができるかということです。会社の理念とともに生きると自分は幸せになれるんだという自信が持てれば、そこに自律性が生まれるんです。そうした人財を育てていくことも、船橋屋の考える社会性の一つですね。

目的を共有することで、社員が自走し始める

−自律性が生まれると、理念やビジョンの実現のために社員が自走し始めるということですね。
先ほどお話しした社内プロジェクト活動もその一貫ですね。ISO9001を取得したISOプロジェクトに始まり、組織活性化やブランディング、イノベーションなどのテーマでこれまでに10本以上のプロジェクトが走り、一部は業務へ組み込んで活動を続けています。うちでは中期経営計画もプロジェクト化して、社員たちが考えます。もちろん私も参加しますが、基本的には口出ししない。議論が本来の目的から外れていると感じた時だけは指摘しますが、メンバーの考えで進めてもらいます。パートさんも含め、全社員が一読して理解できる経営計画でなければ意味がないと考えているからです。社員たちが自分の言葉で立案し、出来上がった計画を社内に浸透させるための冊子もメンバーが手作りで作っています。【経営者が語る“共感経営”】vol.1 下町の老舗和菓子屋が挑む、「あり方経営」<後編>4【経営者が語る“共感経営”】vol.1 下町の老舗和菓子屋が挑む、「あり方経営」<後編>5プロジェクトメンバー手作りの中期経営計画。メンバーによる手書きやイラストを盛り込み、読み物としても楽しい仕上がりになっている。表紙には「一人見厳禁」と書かれ、社員同士で対話しながら読むことが推奨されている。
【経営者が語る“共感経営”】vol.1 下町の老舗和菓子屋が挑む、「あり方経営」<後編>6組織活性化プロジェクトでの合宿の様子。若手社員たちが自社のこれからの姿について真剣に議論する
−まさに、語り部となっていることが伝わってきますね。こうした自律性を育てるために、他にはどのような点に留意されていますか。
うちでは、良い人財、良い語り部を育てる環境の条件として、6つの軸を設定しています。

1.理念・ビジョンに社員が共感しているか(その理念・ビジョンの元に働けば幸せになれると思っているか)

2.給与・賞与の明確かつ公平な評価基準はあるか

3.社内サーベイはあるか(経営陣が社員の声を聞いているか)

4.中期経営計画が新入社員やパートさんまで浸透しているか(計画作成に社員を関わらせているか)

5.新卒採用チームがあり、機能しているか

6.イベント等、仕事を離れワクワクする環境があるか

これらに基づいて日々の活動を行なっていくことで、「目的の共有」「信頼の向上」「共感力の形成」「皆が主役」の風土が醸成され、場の力を生み出す源泉になっていくんです。
−社内サーベイはどのような形でやっておられるのでしょうか。
サーベイは年に2回、匿名形式でやっていて、「今の仕事は楽しいか」「社長は自分の話を聞いてくれているか」「船橋屋にとって改善した方が良いことは何か」といった質問に率直に答えてもらっています。はっきり言ってものすごくきついですが、それもまた従業員に向き合うことだと思ってやっています。私はこの、社員一人ひとりと向き合うことで理念やビジョンを共有する考え方を、「あり方経営」「Being経営」と呼んでいます。*
−同じ志を持つ仲間として、一人ひとりに向き合うことで本当の共感が生まれるということなんですね。
船橋屋で働けば、「くず餅ひと筋、真っ直ぐに」の理念とともに、「自分も真っ直ぐ生きよう」と思って生きていれば、会社がさらに成長して経済性も上がり、給料も上がって、幸せになる。だからみんな楽しく、安心して働ける。言わばセーフティネットですよね。今ではうちの社員は皆、それを理解してくれています。
−最後に渡辺社長が考える、社長の仕事で一番大切なことは何かについて教えていただけますか。

目的地の絵葉書を作って、組織を動かしていくことです。永続する組織というのは、高速で回るコマみたいなものだと私は考えています。それは、「ブレない軸」と、「遠心力」の両方を持ち合わせているということです。ブレない軸とは、経営理念や文化性、社会性のことです。遠心力とは、一言で言えば組織力です。この土台となるのが「場の力」なんですね。場の力を通して、一人ひとりの個性や能力を企業価値として生かすインクルージョン組織がつくられていく。そのためのフィロソフィ教育をしっかり行う。仕事観の意識改革を通して仕事の本質を自己探求できる、「考える組織」にしていく。それによって、企業の成長と、個人の幸せの両方が成立する。そんな組織を作っていくのが、社長の仕事だと思います。【経営者が語る“共感経営”】vol.1 下町の老舗和菓子屋が挑む、「あり方経営」<後編>8船橋屋の「共感経営」のキードライバーは、“目的地の絵葉書”と“場の力”

*「あり方経営」の考え方については、渡辺社長の著書「Being Management 「リーダー」をやめると、うまくいく。」(PHP研究所,2019年5月発売)にて詳細が語られています。