従業員の共感を集める経営とは?


強い組織、成長する組織、永続する組織とはどのようなものか。

世に存在する経営戦略理論はおしなべて、この問いに答えるためのものとして提唱されてきた。競争に勝ち残るためのポジショニング戦略や生産性を高めるための経済合理性の追求といった論点を経て、90年代頃から徐々に「経営理念」や「ミッション・ビジョン・バリュー」といった、組織そのものの存在意義を定めることの重要性が提唱されるようになった。代表的な刊行物としてはJ.C.コリンズによる「ビジョナリー・カンパニー」シリーズや、P.F.ドラッカーによる「ネクスト・ソサエティ」などが挙げられるだろう。特に前者は多くの経営者に影響を与え、初版が刊行されて25年経つ今もなおベストセラーとなっている。経営理念や企業文化、ビジョンを持つことの重要性は、StarbucksやAppleなどの成功事例もその証左となり、今日では経営戦略やブランディングの根幹を成す要素となっている。

その一方で、「経営理念がなかなか従業員に浸透しない」「経営理念と会社の成長が連動しているように感じられない」「経営ビジョンと現場の業務の間にギャップがある」などの課題を抱える企業が多いのが現状である。

そんな中でも、経営理念を従業員が自分ごと化し、組織の成長に繋がるようなアクションを生み出している企業や、力強いビジョンを設定し、従業員エンゲージメントを向上させている企業も存在する。

理念やビジョンが従業員の共感を呼び、その結果、経営者と従業員が良きチームとなって機能している企業には、いったいどのような経営思想が宿っているのだろうか。

本シリーズでは、そんな企業の経営スタイルを「共感経営」と題し、それを実践している企業の経営者にお話を伺っていく。

効率主義の経営から、共感経営への軌跡


「いやもう、ビジョンなんて、まったく考えたこともない。企業家の仕事は金儲けだと思っていました」

社長就任時の自身をそのように振り返るのは、株式会社船橋屋の代表取締役社長にして八代目当主、渡辺雅司氏。

船橋屋は主にくず餅の製造販売を手がける、江戸時代から続く創業214年の老舗企業だ。この20年間にわたって増収増益を続け、経常利益にして7倍の成長を果たしている。財務面だけではない。その組織改革の取り組みが注目を浴び、渡辺氏は「カンブリア宮殿」に出演するほか、メディアの取材件数は年間100件を超え、新卒採用における学生のエントリー数は7年間で66倍にも増加した(2008年度:250人、2015年度:16,700人)。老舗にしてイノベーティブな企業として注目を浴びているのである。

しかしその改革の歩みは、単純なものではなかった。改革に着手した当初は、古参の職人たちから反発を受け、従業員の8割近くが離職。それでも改革を貫き続けた背景には、渡辺社長自身が、“この会社はなんのために存在するのか?”と問い続けてきた姿勢があった。その軌跡について、お話を伺った。

【渡辺雅司(わたなべ・まさし)氏 プロフィール】

1964年生まれ。東京都出身。立教大学経済学部卒業後、三和銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。日比谷支店にて融資業務、市場営業部にてディーリング業務、銀座支店にて営業業務に携わった後、1993年に同行を退職、家業である船橋屋に入社。専務取締役を経て2008年、七代目当主であった父の後任として、八代目当主、代表取締役に就任。以来、膠着していた組織体制を刷新する改革に着手し続けている。

【株式会社船橋屋 会社概要】

創業:1805年(文化2年)
設立:1952年10月
事業内容:くず餅・あんみつ等の製造販売
和スイーツなど創作カフェの経営
売上高:18億円(2018年3月実績)
従業員数:220名(2018年3月現在)
店舗数:28(2019年4月時点)
本社:東京都江東区亀戸3-2-14

葛藤を経て気づいた、「効率だけでは組織はうまく回らない」


−新卒でメガバンクに就職された理由はなんだったのでしょうか。

家業を継ぐためにまず銀行に入って経営を学ぶケースは多いんですが、私の場合はそれが主な理由ではなく、ディーリング業務に興味があったんです。85年にプラザ合意があって一気に円高が進んだ展望のある時代でしたから、ディーラーをやりたいと思っていました。もちろん最初から希望通りの配属ではなく、融資の仕事からスタートしました。80年代後半でまだ好景気の頃だったので、資金力を持った企業が数多くありましたね。そこから希望のディーリング業務を経た後、バブル崩壊直後の回収業務に携わりました。担当したのは、老舗企業がひしめく銀座の商店街。金融業界では「日本で最も難しい」と言われるエリアでしたね。その数年間で破綻していく企業を目の当たりにしました。その経験から、「利益こそが企業の生命線」と確証をもって学んだんです。

 

−利益を上げることこそが企業の使命であるという、ある意味では信念のようなものが形成されたんですね。

まさにそうです。今になって思えば、変な信念です。もちろんその考え方は今でも根底にありますが、単純にカネがあるというだけでは組織は成長も永続もしないということは、経営者になってから学びましたね。

 

−銀行を退職され、家業である船橋屋に入社された当初は、まず利益を上げていくことが第一目的としてあったということですね。

そうです。当時は預金金利も5〜6%くらいで回っていましたから、その倍は利益出さないと経営者をやってる意味ないだろう、くらいに思っていました。赤字なんか出すくらいなら会社を畳んだ方がいいとさえ思っていましたね。利益を出すことが企業の第一目的だと思っていました。

 

−入社当時の船橋屋の経営や財務の状況はいかがでしたか。

先代である父の時代は高度成長期で、会社としては拡大路線でした。けれど私が入社した当時は日本経済のターニングポイントで、これからは一転して谷が深くなっていくと読んでいました。だから徹底的に先回りをして、利益を上げていくための改革に着手しました。当時の業績は決して悪くなかったです。でも、もっと良くなるだろうと思った。例えば当時の仕入れなんかは何十年も前の取引慣習のままで、物価が高い時の卸値のままで止まっているなんてこともざらにあった。そういった変動費の見直しは徹底的にやりました。仕入先と話し合って調整できるところは仕入れ価格を見直し、できない場合は潔く切るということを半強制的にやったわけです。長年の付き合いがある仕入先を切ったときは、捨て台詞のような形で非常に厳しいことも言われましたが。それと同時に見ていったのが固定費ですが、一番大きかったのが人件費です。今でこそ「人材は資産」だと確証をもって言えますが、その当時はコストだと捉えていました。使えないコストはどんどん切るべしと。そんなふうに最初の数年は、効率しか見てない経営をやったんですね。

 

−当時、従業員の働き方はどうだったんでしょうか。

昔からの職人気質が強く根付いていて、いいものさえ作ればそれでいい、という社風でした。規律や規範なんてものはいっさいなく、自分の仕事が終わりさえすれば宴会を始めたり、店頭で眠り込んだり、殴り合いの喧嘩を始めたり、競馬に行ったり、時にはお客様にさえ喧嘩を売ったりと、無法地帯のようなありさまでした。だから色々とルールを作って勤務態度を正していくこと、業務の効率性を上げていくことから始めましたね。

 

−そうした改革に対して、社内の反応はいかがでしたか。

当然ですが、反発は非常に強くありました。古参の従業員は「いいものを作れば売れるし、会社も永続する」という価値観の中に生きている。だから無理をしてまで変革しなくても良いと考えている。それでも改革を押し通した結果、先代からの社員のうち、8割が自主退職という形で離反していきました。しかし当時の私には、企業経営の正しさとは成功することで、成功するということは利益を上げるということだ、という信念がありました。このままの状態を続けると、時代の変化についていけなくなり、いずれ衰退の一途を辿ってしまうと。ただ、そういう改革を数年間続けていく中で、新たな苦しみが出てきたんです。

 

−利益が上がっていくことで、新たな経営課題が出てきたということでしょうか?

いえ、利益や効率性のみを追求し続けること自体に苦悩を感じるようになっていったんです。そこには明確なゴールがないので、目標を達成しても、もっと、もっと、という苦悩が続いていくわけです。息切れしているのに、次の燃料をどんどん投下していかなくてはならない。そういう苦しさの中にずっといました。

 

−このままのやり方でいいのか、という苦悩が生まれたんですね。

そこに対する葛藤が一番大きかったですね。重ねてその頃に、ある衝撃的な出来事がありました。私が改革に着手して以来、意欲的に取り組んでくれていた若手社員が一人いまして、非常に信頼して仕事を任せていました。ある時、その社員に、改革の手応えをどれくらい感じているか聞いてみたいと思ったんです。そこで、縦軸に「やりがい」、横軸に「給料」と書いたグラフを見せまして。「今の船橋屋はどこにあると思う?」と聞いてみました。そうしたら、その社員は迷わず左下を指したんです。

自分としては、悪くても真ん中くらいかなと思っていたのでそれはかなりショックでしたね。そこで初めて、会社のためだと言いながら、社員の意見を全く聞いていなかった、数字ばかりを見て周りを見ていなかった自分の姿に気付かされたんです。効率性をどれだけ追求しても、いくら数字や仕組みだけ変えようと、それだけでは組織はうまく回らないんだと…自分の根底を揺るがされました。それが、ターニングポイントでしたね。

光を見せることで、人の感情が動き、行動が変わる


−数字の目標や「あるべき論」の押し付けだけでは、従業員の心は動かないということですね。

その葛藤の末に、結局、組織というのは生きているものだと。人の感情の集まりなんだと気付いたんです。従業員の感情に訴えかけるのに、今の自分の言葉では届かないのであれば、全く別の形で感情を動かすものを置こう、と思いました。それが、2001年にスタートした「品質管理(ISO)プロジェクト」です。品質マネジメントシステムの国際規格であるISO9001を取得しよう、と社内に呼びかけたんです。老舗の、しかも和菓子屋でそんなものにチャレンジしている企業は一つもなかった。先代である父も、付き合いのある他の老舗企業も、「何を言ってるんだ」「できるわけないだろう」「ずっと受け継がれてきた伝統ある技術をマニュアル化するのか」と批判の嵐。職人たちも、「ISO? なんだそれ?」という反応でした。しかし、今の船橋屋にはどうしてもこれが必要なんだと僕自身が信念を持って、職人たちに言い聞かせるようにしてスタートしました。これは国際的な基準だから、これを取得できたら、うちのくず餅が国際的な品質基準をクリアしているということになるんだよ。うちのくず餅は世界スタンダードだと言えるんだぞと、そういう職人になりたくないかと。すると、なりたいです、という返答が返ってきたので、じゃあ、やっちゃってみようかと。ISO9001を新たな光、希望として見せていくことで、職人たちのプライドをくすぐっていったんです。

 

−そこで感情が動くわけですね。

仕組みがどうとかより、まずパッションに訴えかけることを重視することで、少しずつですが、職人たちが動いてくれるようになりました。同時にそこで初めて、経営者として「経営理念」というものにも向き合うことを始めました。改革を通して様々な軋轢や葛藤を経験したことで、改めて、「自分たちの会社はなんのために存在するのか?」を徹底的に掘り下げて向き合う必要があると思ったんです。一人、断食道場に入って瞑想をしながら、数日間ずっとその問いについて考えました。

 

−そこまで深く掘り下げて考えようと思われたのはなぜでしょうか。

経営理念を考えるためには、そもそも自分とはいったい何者なのか、という生い立ちレベルから向き合わなくてはならないと思います。建前的、義務的に作ったところで、そんなものが従業員の心を動かすことは決してない。それは、経営理念を作ることが目的になってしまっている状態です。「この通りにいかねばならない」という作り方ではだめで、それでは本質を見失ってしまう。長く続いている企業であれば、創業の精神といった土壌から捉え直していく。そうすることで、自分たちが、誰のため、何のために存在するのかという根幹が作られていくわけです。実際に私もこのプロセスを経て、ある「究極の二つの問い」に向き合ったことで、揺るぎない「船橋屋の根幹は何か」が見えてくるようになりました。

 

【渡辺社長が考える、経営理念を導き出す「究極の二つの問い」とは? 後編に続きます】

WRITER

とりうみ

プランニング部
コミュニケーションプランナー・クリエイティブディレクター

とりうみ

ビジョン浸透施策や採用ブランディングの戦略立案、クリエイティブ設計などに従事中。
趣味は写真と漢詩作りと宗教建築巡り。好きな作家はボルヘスと泉鏡花と三島由紀夫とトルストイと筒井康隆。

ビジョン浸透施策や採用ブランディングの戦略立案、クリエイティブ設計などに従事中。
趣味は写真と漢詩作りと宗教建築巡り。好きな作家はボルヘスと泉鏡花と三島由紀夫とトルストイと筒井康隆。